私の警察学校での実体験をもとにお送りする【実録警察学校】の第11話です。
第10話は下記のリンクからご覧ください。
警察学校に入校して2週間が経過し、初めての外泊まで残り約1週間となりました。
この時期は指導強化期間と呼ばれ、教官も一段と厳しい態度をとってくる時期なのですが、なによりも「実家に帰りたい、外の空気を吸いたい」という欲望の方が勝ります。
指導強化期間は入校して約1か月の期間です。
私が警察学校に入校したときは曜日の関係で指導強化期間は約3週間となっていました。
教官からの追い込みは激しさを増していきますが、しっかりしがみついていかなければいけません。
指導強化期間

警察学校に入校して嵐のような1週間が経過し、ここにきてようやく2週目が終わろうとしている。
警察学校の1日の流れや教官から怒られることには完全に慣れたし、朝から晩までしごかれることも慣れてきた。
一番学んだことは教官には何を言われても従うしかないし、何も言い返してはいけないということだ。
警察学校の教官とは我々初任科生の上司であり、絶対的な存在でもある。
警察組織の上下関係の厳しさは十分わかったし、これからこういう世界で生きていかなければいけないことも悟った。
警察学校に入校して最初の1か月は指導強化期間と呼ばれ、警察礼式や作法を徹底的に叩き込まれる。
初任科生に警察学校の厳しさを体で教える期間とも言える。
入校当初は「こんなキツいところで生活が続くのか…」と不安な気持ちしかなかったが、実際に生活を続けていれば嫌でも慣れてしまう。
逆に言えば、この期間さえ乗り切れば後は不祥事でも起こさない限りなんとでもなる。
多くの人が口を揃えるのは「警察学校は最初の1か月が大変」ということだ。
だから最初の1か月は教官も特段厳しくなるし、とにかく退職者を増やそうという意気込みで追い込んでくる。
なので、入校して2週間が経過したころがまさに指導強化期間の佳境と言える。
朝のランニングから始まって夜の教練訓練まで本当に1日中しごかれるので、1日はあっという間だが、身体的にも精神的にも辛い日々が続く。
リラックスできるはずの就寝時間でも教官が寮を巡回しているから、その足音が気になってぐっすり眠ることすらできなかった。
だが、耐えるしかないし、乗り切るしかない。
なぜなら、あと1週間もすれば初めての外泊が可能になるからだ。
指導強化期間の終わり=実家に帰る日なので、もはやそこしか見えていなかった。
授業=怒られる時間

前回、警察学校で本格的な授業が始まったということを書いた。
授業と聞くと単に座って聞くというものを想像するが、警察学校では一味違う。
特にこの指導強化期間の間はまともに授業が行われることはほとんどなく、授業=怒られる時間という感じだった。
前回も書いた通り、体育の授業なら警察体操を覚える時間なのにひたすら怒られるし、他の授業でもなにかミスがあればこっぴどく怒られる。
この状況は指導強化期間特有のものである。
警察学校の生活に完全に慣れてくれば忘れ物をすることはほぼないのだが、最初は忘れ物をして当然というくらい色々な忘れ物が続出する。
警察学校の授業というとざっと挙げても憲法、刑法、刑事訴訟法、警察行政法、地域、刑事、生活安全、交通…などなど、非常に多くの科目がある。
それぞれ担当の教官は違うし、用意する物も違う。
単に教科書とノートだけあればいい授業もあるし、これに加えて参考書が必要だったり、レジュメが必要だったりする場合もある。
入校してすぐにこれらを覚えるのは困難を極めるし、授業の準備を完璧に行うにはしばらく時間がかかる。
まだ誰もが警察学校の生活には慣れても授業には慣れていないし、同期生との連携もあまりとれていない。
そもそも同期生と連携をとる時間もあまりないので、みんなで確認するという作業がなかなかできないし、同じ部屋同士で確認するくらいしかできない。
なので、毎回どんな授業でも誰かが忘れ物をする→教官が怒るというのはほぼお決まりだったし、そういう意味でまともに授業が行われなかったのである。
すると自然にクラスの雰囲気も悪くなり、誰かが責められるという悪循環に陥る。
こればっかりは時間が解決してくれるのを待つしかない。
当然、教官側もこういう展開はわかっているのでわざとそういうミスを突いてくるし、追い込みをかけてくる。
だから指導強化期間の警察学校の授業にはいい思い出がまったくない。
続出する怪我人

指導強化期間も残り約1週間となった頃、クラスで目立ち始めたのが怪我人である。
見学する者として態度が悪く、悪い意味で目立ち始めた田中の他にも2名が怪我をしてしまい、計3人が集団行動から離脱した。
朝のランニングはもちろんだが、体育の授業も見学だし、術科(柔道や訓練)も当然参加できない。
夜に行われる教練の訓練も参加できないので、怪我人は焦るばかりである。
やはり体を使って覚えるのと見るだけで覚えるのとでは習得の度合いがまったく違う。
教官に怒られながらでも実際に体を動かしていた方が体で覚えるし、見ているだけではなかなか覚えられない。
見学者のために補習などは一切行われないし、見学者は本当にクラスの動きを見て覚えるしかない。
今一度伝えておきたいが、警察学校では絶対に怪我をしない方がいい。
得することはなにもないし、同期生が歯を食いしばって頑張っているのを見学するのは精神的にも辛い。
怪我をしないためには入校前の事前準備が大事であることをしっかり覚えておいて欲しい。
私と同部屋だった佐々木(仮名)も怪我人の一人である。
佐々木は最年長の30歳で警察学校に入校しており、当然ながらクラスでも最年長だった。
入校直前まで前職の仕事を続けていたので、どうやら事前準備がまったくできていなかったらしい。
佐々木は入校早々に足首を怪我してしまい、しばらく無理をしていたため膝も痛めてしまったというパターンだった。
今でも忘れられないのは寝る前に佐々木が痛めている箇所にテーピングやら湿布やらを貼っているシーンである。
本当に痛々しい姿だったが、怪我をするのは自己責任だし、重傷でもなければ病院にも行けない。
佐々木は思わず「こんなことになるなんて…。30歳だとなかなか大変だね」と漏らした。
例え方が悪いかもしれないが、事前準備を怠るとこうなってしまう。
どちらかと言えば警察学校では周りから「怪我したなら仕方ないね」という目では見られないし、特に同情もされない。
「準備してこなかったお前が悪い、怪我したお前が悪い」というのが割と正論となる。
教官から怒られるだけでなく、同期からもこのような視線が送られるようになるのが警察学校の厳しいところだろう。
教官の追い込みにも負けない

警察学校に入校して2週間が経過しようとする頃、斎藤教官からの追い込みは強力なものになっていった。
私たちを怒鳴るのと同時に机を蹴り上げる、教練で動きの遅い者につかみかかって除外する、アスファルトの上で筋トレをさせるなど、追い込みの強度が明らかに増した。
斎藤教官自身も「お前ら家に帰れると思ってんだろ?帰れると思うなよ。辞めるなら早く辞めろ」と厳しい言葉をかけてきた。
小テストもどんどん実施され、悪い点数をとればあり得ない量の課題を出された。
あり得ない量の課題なので、提出期限にも間に合わない。
物理的に時間がないのでどうしようもできないのだが、当然できていなければ教官は激怒する。
このような負のループからはなかなか抜け出せず、教官も一切追い込みに手を抜いてこない。
さらに教官は我々の時間を奪うことを楽しむかのように「課外時間に全員で校舎の掃除をしろ。徹底的にきれいにしろ」というとんでもない指示を出してきたのだ。
ただでさえ時間がないのに余計な作業を増やされてしまい、ますます課題も実習日誌も取り組む時間がなくなってしまった。
それに加えて少しでも時間があれば筋トレを課すし、もう教官のやりたい放題である。
このような追い込みをかけてくるのは斎藤教官だけではなく、各教科の教官も同じような追い込みをかけてくる。
だが、あと1週間耐えれば家に帰れるというところまでたどり着いたのである。
非常に厳しい追い込みだったが、負ける気はさらさらない。
もはや家に帰ることしか頭にないので、入校当初とはモチベーションがまるで違う。
さらに携帯も触りたいし、好きなものも食べたいし、彼女とも会いたい…考え出したらキリがないほどやりたいことがある。
同期生が考えていることも同じだし、ある意味で一致団結していた。
入校2週目はこのような追い込みが続いたが、クラスから退職者は出なかった。
2週目の土日も前週と同じく休日にはならなかったが、みんなで耐え抜いた。
そして2週目を乗り切り、ついに週末には家に帰れるという勝負の3週目に入った。
最後の障壁は学校長視閲

指導強化期間の最大行事は警察学校長視閲(しえつ)という行事だった。
これは警察学校のトップである警察学校長の前で点検教練を実施し、「警察官としての礼儀作法をこの3週間で身に付けました」という成果を見せるための行事である。
初日から行われていた教練の訓練は教練の動作を身に付けることはもちろんだが、この警察学校長視閲に向けた訓練でもあったのだ。
この行事はちょうど入校から3週間後に行われる行事で、この視閲を受けて学校長からお褒めの言葉をもらい、晴れて初めての外泊ができるという流れになる。
当然、3クラスの同期生が完璧に息を合わせて教練を行い、学校長から評価してもらわなければいけない。
万が一、点検教練がひどい出来ならどうなるかわからない。
家に帰ることばかりが頭をよぎるが、まずはこの警察学校長視閲を乗り越えなければいけない。
そして、警察学校に入校して3週目に突入した。
この日が月曜日で、金曜日になれば家に帰れる…。
いや、ただ家に帰れるだけでなく、3週間一度も触れることのなかった携帯電話も手元に帰って来るし、自宅でゆっくり寝ることもできる。
それだけでどんな困難にも立ち向かっていけそうなテンションになる。
もちろん教官もそれは理解しているので、さらに一段と追い込みの強度は増した。
当時一番追い込みがきつかったのは夜の教練訓練。
右向け右、回れ右、敬礼、左向け左、脱帽、着帽など、点検官の様々な指示に従って部隊は動かなければいけない。
言葉にすると簡単そうに見えるが、指示通りに完璧に動くのは意外と難しい。
誰かが間違えると周りはそれに釣られて同じ間違いを犯すし、動作のタイミングを3クラスで揃えるのも難しい。
間違えた者は部隊から除外されたり、その場で筋トレを命じられたりする。
教官の怒り方も容赦なく、本当に追い込まれている気分だったし、非常に緊張感のある時間だった。
担任の斎藤教官はこの追い込みを楽しんでいるように見えたし、改めて恐ろしい人だと思った。
風呂上がりにこんなことをやるので汗びっしょりだし、この訓練が終わったら急いで寝る準備をしなきゃいけないし、とにかく時間がなかった。
こんな慌ただしい合間に洗濯やら翌日の準備やらをしなければいけないので、どことなく周りの同期もイラついている。
同期とは協力し合うのが基本

以前にも紹介したが、警察学校に設置してある洗濯機は数に限りがある。
だから全員が同時に洗濯機を使うことはできないし、最悪の場合は洗濯していないものを翌日も着るなんてこともあった。
そのため、洗濯機は周りと一緒に使うのが基本中の基本である。
空気の読めない者は一人だけで洗濯機を使い、同期とケンカになる。
こういった場面でも同期とは協調性を大事にしていかなければならない。
「自分だけよければいい」という考えは持たない方がいいし、多少不便でも同期とは協力していく方が絶対に後々楽になる。
これはなにも警察学校だけでなく、警察学校を卒業してからも必要になる考えだ。
警察官の仕事は周りと連携して行う仕事が多いので、自分のことばかりを考えるのはあまりよろしくない。
そして、ここでも気になったのは怪我で集団行動から離脱中の田中である。
どのようにして怪我をしたのかはわからなかったが、怪我をしてからは運動系は一切やらなかったし、夜の教練訓練も見学していた。
相変わらず見学者としてふさわしい態度はとっていなかったが、田中からは「指導強化期間をなんとか乗り切る」というオーラがぷんぷんだった。
集団行動から離脱しているため、色々とクラスから出遅れているのだが、それもお構いなしと言わんばかりの態度で日々過ごしており、ある意味で一目置かれる存在だった。
こうなると彼に救いの手を差し伸べようとする同期はいない。
自業自得だが、田中のことをかばう同期すらいなかった。
自然と田中は孤立していき、協調性のかけらも見せず、淡々と単独で行動するようになった。
もちろん周りの同期も田中の態度を許すわけはない。
なにか目につくことがあれば容赦なく田中を責めるし、ときには複数人で田中を叱責する場面もあった。
誤解を招くといけないが、これはいじめではない。
協調性が求められる警察学校において自らそれを放棄した人間に対して、温情を持って接する必要はないのだ。
このように同期からも責められるようになると警察学校での生活は非常に苦しいものがあるのだが、田中は落ち込む気配すら見せない。
まさに鉄のメンタルでこの警察学校を乗り切ろうとしている心意気が見えた。
普通なら退職を選択しても不思議ではないが、田中にその選択肢はなかったようだ。
それでも時間は刻一刻と過ぎていき、初めての外泊となる金曜日へと確実に時計の針は進んでいた。
-続く-
【実録警察学校#12】入校から約1か月、初めての外泊を迎える
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